パンのひと

パンが好きでパン屋巡りが趣味、最近は家に関する記録を残しています

2020年4月17日、わたしは仕事を失った

ハロー!!いきゅみです、洋画さまざま好きな人間です。パンも好き。
ぽっぽアドベント①
の12月18日を担当、よろしくお願いします。
2020年のテーマは「変わったこと/変わらなかったこと」、私の「変わったこと」を書きたいと思います。

変わった/変わらなかったこと Advent Calendar 2020 - Adventar

2020年は変わったことってなんだろうなぁと思い返すと、一番にくるのは仕事を失ったということ。びっくりしちゃったよね~ほんと!

大学を卒業してから10年以上、仕事が好きで(働かないでお金は欲しいけど仕事をすることは好きなのだ)駆け抜けてきた私。新卒からずっと旅行関係の仕事に従事していたが、予期せぬタイミングでいったんお休みをとることになりました。
いままで何を軸に”働くということ、仕事先を選ぶこと”をしてきたんだろう?と自分の振り返り・備忘録としても色々と記録をしておきたいなと思っていたこともあり、かなり暗い・長い内容なのだが、私の変わったこととして書き起こしておくことにします。
本当に自分のことしか書いてないし、全然ハッピーな内容ではなく、あぁこういう人もいたんだなって読んでいただけると嬉しいです。

 まず私がどういう仕事をしてきたか、なぜ今の自分があるかを少し書いておく。

もともと英語を使って仕事がしたい・アルバイトの経験から、接客業を希望してあるチェーンホテルへ就職をした。
かなり長い職歴である、いくら辞めたくても少なくとも3年は働けと言われる時代。
朝は6時に起きて夜は22時に帰ってそれから夕飯という毎日、かなり忙しい部署に配属されなかなかこのルーティーンから抜け出せなかった。
長い間同じ仕事をするのは苦ではなかったが、職に対する情熱を持つ同期・先輩がいなくなったことと上司への提言が全く通らず改善されない状況に辟易して、初めての転職活動後にOTA(Online Travel Agency)へ転職。
いわゆるtravel techとして既に欧州を中心に認知度があり、入社してからは主にインバウンド(外国からくる旅行客)への集客に関する営業をすることとなる。

最初に会社は自分が勤めている会社名を言うのが恥ずかしかった、誇らしいと思えることがなかったから。でも次の職場(travel tech)は一日目からエネルギーに溢れたにぎやかな同僚・環境に恵まれていると感じ、初めて自信を持って私がしていることはこんなことだよと言えるようになった。
数年すると日本でのオフライン・オンライン広告投資が許されるようになり、徐々にlocal for local(日本人が日本国内の利用をする)ユーザーが増加、CMが流れ始めて家族にも認知してもらえたときは凄く嬉しかったのを覚えている。

”旅行・観光が好きで、この仕事で日本を支えていることが誇り”

この会社に入ってそんな風に思えるようになった、その前の会社で培った基盤を活かしてスキルだけではなく色々なことを学ばせてもらった。
テクノロジーと旅行プラットフォームのコンビネーションで、人々(この場合は旅行客)の生活を豊かで楽しくスムーズなものにすることが私の仕事選びの条件であると感じていた。


楽しい職場ではあったが2018年に転機があって別のOTAへ転職することを決めた、日本への新規参入会社だ。
旅行をするには欠かせない商品を取り扱っており、まさにDX(デジタルトランスフォーメーション)を牽引する会社であると感じ日々必死に働いた。
*デジタルトランスフォーメーションとは、「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」という概念である。(diamond online
かなり大きい会社をいくつか任せてもらっていて、冗談で「もし私が御社の担当を外れることになったら、辞めると思います」とか言ってたな…。

入社した年は10人といなかった会社だったが、2020年には営業やマーケティングなど含め総勢40人ぐらいになっていた。新宿の雑居ビルから最終的には渋谷の良い場所にオフィスを構えることになるぐらい、会社の成長は早くたくさんのお金も使っていた。シェフを呼んでオフィスでランチを提供してもらうなんてこともしていたんだよ、今年のことなのにすごく昔のことのように思える。

   

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オフィスから見下ろした渋谷スクランブル交差点
(これは6月ぐらいに撮影したの、人が少ないね)

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こういうの毎月やってた、やることがバブリー(古い)


2020年、東京オリンピック開催年。新卒で働いているときから旅行業界が総力をかけて準備していく様子を見てきた、いよいよ本番だなーーって感じ。
私の勤めていた会社でもかなりの売上を予想していた、社運を賭けたとまでは言わないが日本は会社の中でも売り上げの高い商品を取り扱っていたから、なおさら注目度は高かった。
会社でCOVID-19の影響が出始めたのは1月後半の旧正月期間付近だったかと思う、他国で中国からの入国を禁止するというニュースが飛び交っていた。
同僚と3月に台湾旅行をしていたので、それまでには落ち着いているといいねーという話をしたりして、おそらくMARSの時のようにV字回復が見込めるだろうと誰しもがほんの数か月の辛抱だと感じていたに違いない。
2月から予約キャンセルとその返金対応に追われる日々だった、3月に入るとキャンセルの対応が落ち着いたが、一切の予約が入らない取引先が出てきた。
月何千万・何億円とあった売上がゼロになる…不安はあったが、東日本大震災の時のように1-2ヶ月すればお客さんは戻ってくるだろうと考えていた。いずれ観光客は戻ってくると。

仕事柄Linkedinというツールを使用して企業の情報や採用情報を閲覧しているが、2月から"レイオフ - Layoff"という文字を見るようになる。
一時解雇といって、企業の業績悪化などを理由に社員を一時的に解雇することである。再雇用を条件として一時的に職務から外れてしまうことなのだが、当然その期間の給与は発生しないということを知った。
同業他社のレイオフに関するニュースが少しずつ増えてきたのを見て、私たちの会社はつぶれないといいねと同僚と願う毎日。だがしかし3月に突然GMが解雇されることを知る、どうやら契約社員での採用だったために契約更新がされなかったということだった。在宅期間中で詳しい理由がわからないまま、そうかそれは残念だという気持ちであったが、このあと会社のストラクチャやお金の管理について今まで聞いたことのない連絡が来るようになった。(契約会社に払ったデポジットを一旦返金してもらえないかなど…こんなヤバいこと聞いたことない)

 

4月17日(金曜日)
朝起きると会社から会議の通知メールが二件来ていた。一件は社長からの全体集会、二件目はHRと上司とのキャッチアップ面談。こういう連絡は良いニュースではない。
このときに悟った、あぁついに会社はもう人を切らないと回らない状態で、きっと私が何かの対象なんだと。同僚のカレンダー設定を見てみると、同じような予定がなかった…そうか、きっと私だけなんだと気づいた。
いつも笑顔で明るく会社の方向性を話してくれる社長の顔が、いつもと違ってむくんでいたように思う。とても悲しい顔をしていたから、もしかしたら泣きはらした後なのかもしれない。その会議で言われたのは、業績悪化から社員の20-25%をレイオフせざるを得ない・残っている社員は週4勤務になり20%の給与がカットされる・経営陣は数か月無給で働くということだった。そのあとすぐにHRと上司とのビデオ面談、張り詰めた空気の中でレイオフが告げられた。なぜ私なのかを問いただすと、個人の成績が悪かったからではなくpriority operations(チームの中でどのポジションが何人必要か・予算に合わせて)ということだけ。
もしかしたら所属部署の中でも高い給与だったのかもしれない。だけど給与は仕事・実績の対価であって、新規ビジネスを初期メンバーとして開拓してきたんだから、それでレイオフの対象にされるのは裏切られた気分しかなかった。

 

その日の午後、私は早速Linkedinでopen for opportunityのフラグをonにした。職探しをしていますよいう意思表示をしたのだ、きっとほかにも同じような境遇の人がたくさんいるから早いうちに仕事を見つけないとチャンスがなくなる。そう考えてその日のうちに動いたのだが、レイオフされた日にアクションを起こすなど意外と冷静だったのかもしれない。
意思表示をしてからは知らない人からどんどんメッセージが来た、すごいな~実は世の中仕事で溢れている!なんだじゃあ大丈夫かな…と安心し、その後はパソコンを閉じて床に横たわっていた、寝るんじゃなくて文字通りで暗くなるまで横たわった。
その日の夜から数日は眠れなかった、アドレナリンが駆け巡りなぜ私が?という思いが毎日沸き起こり、涙が止まらない時もあった。

暗い、記事が暗い…!!!
レイオフはとっても悲しいことだったけど、ちょっと休憩がてら嬉しい方の「変わったこと」として合間にかませてもらいます。

仕事を失ったこと以外にも嬉しいこともあったんです。
5月に弟のところに家族が一人増えました、おめでとう!!実はすでに3歳の娘がいるのだが、この時期保育園が休園になってしまい妊婦ひとりでは日中の生活ができない状態に…そこになんと幸か不幸か、仕事がなくなってしまった私が駆り出させれることに。

弟家族のサポートは住み込みで行うことになった、おかげで私は一人でふさぎ込むこともなく忙しくすることができた。同時に体と心を休めることができた…お互いに大変な状況ではあったがとても感謝している。
以前のわたしはというと、弟は平日休みなので3歳の姪っ子には数回しかあったことがなかった、悲しいのだが休みが合わなかったので仕方がないのだ。
二人目の子も無事産まれすくすく育っている、以来弟家族には月一ぐらいで会いに行くほどの姪っ子溺愛ぶりである(前から可愛がってはいたが拍車がかかった)。弟の奥さんとは美味しいものを食べる趣味があっているので、行くたびにお取り寄せとか人数が多くないと食べられない食事メニューを作ったりと、人に会えない中で一緒に過ごしてもらう機会をもらって本当にありがたい…もし仕事が見つからなかったら家に居候させてもらうことになるかもしれなかったのだが、節約のためそれでもよかったのかもしれない。

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可愛い可愛い姪っ子、手作りのどんぐり帽子がよく似合う

余談だが「変わらなかったこと」ももちろんある、パン屋の開拓である!
以前のぽっぽアドベントでおすすめのパン屋について書いたのだが、2020年もいくつか美味しいパン屋に出会うことができたのでちょっと紹介…と思ったらパン屋の紹介だけでひとつの記事ぐらいになってしまったので、別リンクで書きました。
去年書いた「美味しいパンのこと」、今年の「美味しいパンのこと2」。一番のお気に入りuneclefさんが3月からずっとお店を閉じられていて、ずーっと心待ちにしています。どうか継続していかれますように、そろそろパンの通販再度申し込んじゃおうそうしよう。

美味しいパンのこと

ikyumi.hatenablog.com

美味しいパンのこと2

ikyumi.hatenablog.com


さて元の話に戻ろう。
悲しいけど仕事は見つけるしかない、旅行業以外の仕事にチャレンジする機会だと思いなおして5月GW明けから前向きにリクルーター(会社と応募者をつないでくれる)と電話面談をしたり、レジュメをアップデートし始めた。
結局会社は早期退職を許可することとして、6月30日までの給与振込および有給休暇の買取りで合意が取れた。つまり6月中に仕事が見つからなければ無職になる。
残った人に聞いてわかったのだが日本オフィスでは10名ほどが対象になったようだ、無給休暇・早期退職のどちらを選ぶのか?また日本の法律や行政のサポートを調べあげて共有しあう毎日だった。

働かないのに2か月分の給与が出ていたので悪い気分にはならなかった、むしろ先の見えない仕事をしている残された社員のほうが辛かったように思う。
焦らずに探せばいいやという気持ちとは裏腹に、今後この先仕事を失う人との競争になるのであれば早く見つけないとという焦りが私の心を駆り立てていた。
最初のうちは、私は優秀で会社を引っ張っていた自信がある・英語だってできる、すぐに新しい仕事先が見つかるとかなり高いポジティブレベルだった。レイオフ対象になったことを元同僚に伝えると、多くの人があなたは大丈夫だからと言ってくれた。仕事以外の友人・知人やTwitter友達であっても、私なら大丈夫と言ってくれたことは非常に大きな支えだった…本当に。コメントをもらっておいおい泣いてました、その節は本当に皆さん支えてくださってありがとうございます、この場を借りてお礼を。

しかし続々と増えるレイオフのニュースと落ち続ける面接の結果報告に(実際は数えるほどしか面接していないのに)心が折れてしまい、こんな時に仕事が見つかるのか・わたしの市場価値はあまりないのではと落ち込むことも日々あった。
自分が本当にやりたいことって何なんだろう?いくら仕事がたくさんあったとしても、まったく興味の惹かれる仕事が見つからない毎日、しかも旅行業以外の仕事についたことがない、むしろ興味を持てたことがないのに見つかるのか?何がしたいのか悩む毎日だった。

昔の知り合いや新しく知り合った方など相談をしていたある時、やりたいことが見えてきた瞬間があった。旅行・観光が好き・この仕事で日本を支えていることが誇り、いう気持ちから、旅行とは全人類ができるものではなく、お金と時間がある物に与えられた贅沢であると改めて気づくチャンスがあった。だからこそ旅行業に対する諦めがつき、DX(デジタルトランスフォーメーション)で人々の生活が豊かになる仕事が私がやりがいを感じていると気づくことになる。

6月中に仕事を選ぶ際の基盤が明確になると、7月第一週に最終面接をした会社から内定が出たので私はそこで決めた。他の企業との比較をしたら?というフィードバックを色んな知り合いからもらったが、そもそも興味があって入りたい会社しか受けていないので比較的すぐに決めた。何よりお金が入ってこないことがストレスだったのもある。
失業手当の申請をする間もなくすぐに入社した、今回の会社も日本への新規参入だ。
どうビジネスを展開していくか毎日が試行錯誤の日々で、かなりのカオス具合だがそれも楽しめている。やっぱり忙しくしていることや仕事が好きなんだ。

仕事を失うこと、とっても悲しい「変わったこと」だった。だけど心身休めたり、家族との時間を持つことが出来たり、自分が何が好きで何がやりたいか考えたり、色んな転機をもたらせてくれたきっかけであったかと思う。
とは言え毎日家にいなければならない、外出する事由がないこの状況では一歩間違えれば心身壊れてしまう可能性もあった。二度と味わいたくない人生の変化でもあった。

長く暗い記事でしたが読んでくださってありがとうございました。
人生楽しいことばかりではなく、素敵な記事・心躍らされる記事を見てどうしようかなと少し迷ったのですが、2020年の辛かった出来事として共有させてもらいました。

はとさん、いつも素敵な機会をくれてありがとう。
12月18日はあいはら 아이하라さんと手芸センターポリスさんもアドベント参加されるそうです、お二人の記事も楽しみです!
明日12月19日のご担当はとばをさんとコットンさん、林檎野めだまさん。

adventar.org

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気の滅入るニュースばかりで洋画の公開も全然されない、毎日くさくさした気分ではありますが2021年は今年のお休み期間分上乗せでハッピーなことが私・皆様におきますように…絶対お願いします!!!!それではMerry Christmas and happy new year :)